
高野長英の隠れ家
学校から家までの道に、高野長英の隠れ家がありました。
日常の中に自然と溶け込んでいる場所で、気づかず通り過ぎてしまいそうなほど。
元住吉でいうなら、ブレーメン通りの一本裏の道に、ふと現れるような、そんな感覚に近いかもしれません。

小学生だった頃の通学路
現在、この赤い建物はピザ屋さんになっていますが、
数年前までは「カフェ春奈」というお店でした。
店内にはJazzが流れ、
jazzがすきな夫はふらっと一人で立ち寄ったのですが、
そのとき店主の方に
「どちらから来られましたか?」と声をかけられました。
「川崎からです」と答えると、
なんと店主のご親族も川崎で写真館をされているとのこと。
あまりにも話が合いすぎたことに不思議に思い、
思い切って、
「大家さんは熊坂さんでしたか?」と尋ねたところ――
なんと、そのお店のご親族の方が、
現在の元住吉習字教室の場所で、
昔、写真館を営んでいらした方だったのです。
また、この風景は、小学生の頃の写生大会でわたしが描いた場所でもあります。
遠近を意識し、建物の線や影の重みまで表現しようとしたため、時間内に仕上げる事ができず、放課後に居残りして完成したことを今でもよく覚えています。
自己満ではありますが、我ながら大作となり、コンテストにも出品して賞をいただきました。
賞をいただけて嬉しいはずだったのですが、その後の面談で、
「小学生にしては精密すぎる。何か特性があるのではないか」
何か含んだ言われ方をされたもので、母はショックを受けて帰ってきたのでした。
一方でわたしは、「やっぱりそうか、」とどこか腑に落ちたような、
不思議と納得してしまったのを覚えています。

通学路の途中にある松屋旅館

著名人が沢山宿泊していたことも、大人になって改めて驚きます。

新渡戸稲造さんの名前も。

こちらは、小学校の敷地内にある、山のようなものです。
小学校が新しくなった今も、この場所だけは当時のまま、残されています。

その山の真ん中に、
白井雨山(彫塑家・書家)の銅像が立っています。
この写真を撮りたくて、小学校の職員室へ行ったのでした。
わたしは白井雨山の一族の者です、と言うと変に気を遣わせてしまいそうで、
「35年ほど前にこちらの小学校を卒業した者ですが、、」
と伺うことにしたのでした。
それも、結構な重みですね。

なんと書いてあるんだか、さっぱり。
読める気がしません。
チャットGPTに読んでもらうしかないと思い開いてみましたが、チャットさんでも厳しいようでした。

母校 外観

街はみきゃん推し
年々みきゃんが増えていきます。
以上、愛媛帰省の記録でした。
オマケ

羽田へ向かう飛行機の中で、「情熱大陸」の”書体設計士”の特集を観て、すっかり仕事モードに。
背筋が伸びる思いで、川崎へ戻って参りました。
(キーホルダーは、愛媛の名産:一六タルトです。)